食事を残さない

子どもの頃、食事に関して両親に厳しく躾けられた記憶があります。とはいっても、茶碗や箸の持ち方などの作法のことではなく「食事を残さない」という躾です。

東京都北区田端:栄屋食品の古漬

食事を残してしまう原因のひとつに、食べ物の好き嫌いがあります。子どもは大人と異なり、食感や匂い、味や見た目などに耐性がついていません。食の経験が少ないなかで未知の食べ物に接することになるので嫌厭するのでしょう。私もいくつか苦手なものがありましたが、両親に説得されて渋々食べていました。

小学三年生のときの担任の先生も食べ物に関して熱心に指導してくれました。食糧不足の時代を生き抜いてきた方だったので、食べ物に対する思いは人一倍強くありました。動物や自然が大好きで、まだ純粋な心を持っていた幼き頃の私は「生き物の命をいただいている」という言葉に感化され、何でも残さず食べるようになりました。

一方で、無理やり食べさせようという大人の強制的な態度が原因で益々嫌いになったという経験を持つ人もいます。また、食文化の違う地方や異国の食材をゲテモノ扱いすることもありますし、好き嫌いは味覚よりもそれを取り巻く周辺に影響されると言っても過言ではありません。

次に、食事を残す原因として食が細い場合があります。大学時代の友人と外食した際に、彼は「皆の一人前は俺の一人前の量ではない」と言って食事を残していました。自炊なら量を調整できますが、外食となると少なめに頼むことくらいしかできません。胃が受け付けないならば、それは物理的な限界です。当時、どんなに大量の食事でも食べ切ることが当たり前だと思っていた私は、妙に納得したのを覚えています。

「好き嫌いをせず、残さず食べる」ことは食べ物や調理してくれた人に敬意を表す素晴らしい価値観だと思います。しかしながら、それを全うできないことが必ずしも悪いわけではありません。それぞれの事情や価値観を理解しながら、調理する側も食事する側も工夫を重ね、食べ物を無駄にしないように美味しく味わえたらいいなと思います。

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