ラジオの思い出

ラジオを聴いていると興味のなかった楽曲や情報が得られて楽しいものです。サブカルチャーやローカルの話題も多く、テレビとは違う魅力があります。

私のパートナーはラジオを聴いて育ったので、一緒に過ごすときは大抵ラジオを流しています。デザイン関係の職場でもラジオを流すことが多いのですが、私はそのような環境で過ごしたことはありませんでした。

音楽はもっぱら近くの図書館で借り、ジャズやロックを聴き漁りました。サブカルチャーやローカル情報は雑誌、もしくは東京じゅうを歩いて収集していたと思います。

それでも、お気に入りのアーティストのレギュラー番組は聴いていました。また、FM局がかっこいいと思ってラジオを付けていた時期もありました。

ラジオに関して思い出深いのは、深夜放送が終わった後に流れる試験放送です。真っ暗闇のなかでオーケストラや朗読が唐突に流れ、とても不気味だったのを覚えています。とりわけ「坊ちゃん」の冒頭にある「小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて」というくだりや西洋のナイフで自身の指を切るエピソードの朗読が印象的でした。

定期的に流れる交通情報や天気予報は私のお気に入りでした。中学時代は大人の世界に憧れていましたが、当然自由に街に繰り出す自由はありませんでした。穏やかでお洒落な楽曲をバックに「今の都心は〜」と紹介するアナウンスに、車のテールランプが灯る夕方の街の風景を想像したものです。

有楽町に出掛けた際に通るニッポン放送も憧れのひとつでした。芸能人やアーティストがここに通っていると思うとわくわくしつつも、子どもで一般人の自分には縁遠いところなんだと感じていました。

おそらく日東紅茶だと思いますが、よく聴く番組で流れていたCMも印象深いです。「恋人たち」に出演していたジャンヌ・モローを取り上げ、白黒のスクリーンに映し出される彼女の瞳の色の深さとブラックティーと呼ばれる紅茶の関係について語っていました。当時は父親が撮りためていた古い映画をよく観ており、ルイ・マルをはじめとしたフランス映画への興味を掻き立てられたものです。

歳を重ねるごとにラジオから縁遠くなっていきましたが、タクシーで聴くラジオ深夜便は趣があって好きでした。二十年ほど前は夜中の三時や四時まで働くことが当たり前だったので、よくタクシーで帰宅していました。次の日も忙しいので束の間の休息でしたが、須磨佳津江さんの静かな語りと懐かしい歌謡曲が心の癒しとなっていました。

今はパートナーと一緒にラジオを聴いていますが、あと何十年かしたら興味のない番組でさえ懐かしく感じるのでしょう。あまり聴かなくはなりましたが、情緒がある媒体なのでこれからも残り続けてほしいと思います。

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