千束稲荷神社の地口行灯

先日、十年振りに千束稲荷神社の地口行灯(ぢぐちあんどん)を訪れました。以前と変わらずひっそりと、それでいて華やかな行灯の燈火にうっとりとしました。

東京都台東区千束稲荷神社:地口行灯(ぢぐちあんどん)

毎年初午祭(二の午の日)に開催する千束稲荷神社の地口行灯。前回のコラム「吉原の地を訪ねる」でも紹介しましたが、地口は江戸時代の駄洒落のような言葉遊びで、落語でも用いられています。この地口を行灯に描いて並べる風習が地口行灯で、戦前までは多くの神社で行なわれていたそうです。しかし、時代が経つにつれその数は減っていき、千束稲荷もしばらく行なっていませんでしたが、1970年代に復活したそうです。

東京都台東区千束稲荷神社:地口行灯(ぢぐちあんどん)

千束稲荷神社は四代将軍の徳川家綱の時代、寛文年間に創設され樋口一葉の「たけくらべ」にも登場する由緒ある神社です。境内はとても美しく管理が行き届いており、鳥居をくぐると気持ちがしゃんとします。この日はさまざまな行灯と、朱色の幟(のぼり)が華やかな雰囲気を醸し出していました。

東京都台東区千束稲荷神社:地口行灯(ぢぐちあんどん)

日が暮れると行灯に灯が燈されます。現在では蝋燭ではなく電球に代わっていますが、それでも薄暗いなかで優しい光を放っており、どこか昔の時代に戻ってしまったような錯覚に陥ります。地口の洒落は現代人にとって少々難しいのですが、可愛らしい絵柄を見ているだけでも笑顔がこぼれてきます。

東京都台東区千束稲荷神社:地口行灯(ぢぐちあんどん)

しばらく行灯を眺めていると、このような風情ある行事を今も続けていることに、ふと感動を覚えます。一時は途絶えていたとはいえ、1970年代から復活したということは私の生きてきた時間ずっと続けてきたということです。その苦労は計り知れないものであり、携わってきた人々、訪れた人々も変化があったのだろうと思います。さらに明治時代、江戸時代の間に同じ景色を見てきた人々や地域の歴史を思うと、ぽっかりと浮かんだタイムマシンのように感じてきます。もしくは歴史をそっくりそのまま覗くことができる望遠鏡のような気もしてきます。

東京都台東区千束稲荷神社:地口行灯(ぢぐちあんどん)

続けていくことは、価値のあること。ついつい自分の仕事や生活を、取るに足らないちっぽけなことと思いがちですが、地口行灯を見ているととても浅はかな考えであるように思えてきます。しっかりと続けていったあとでようやく自分を振り返ることができるのだと、静かに教えてくれているような気がします。

千束稲荷神社
東京都台東区竜泉2-19-3

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