幾度と訪れる公孫樹

私の小説「センチメンタル」の舞台になった胸突坂の脇にある水神社の公孫樹。今年の秋も見事に色づいていました。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

このコラムで登場するのは何回目になるでしょうか。昨年一昨年も見事な黄金色に染まっていたように思いますが、訪れる時期が少しずつ異なるので、紅葉の色もそれぞれ異なっています。写真を撮ったり文章に残しておくと、振り返ることができて嬉しいものです。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

相変わらず雄々しい姿の公孫樹は、水神社の狭い石段を挟むように仲良く二つ並んでいます。下から見上げると、ひとつの樹のように銀杏の葉が重なって大きな塊となり迫ってくるようです。

昔から桜の季節の神田川沿いは訪れる人で賑わっていましたが、紅葉の時期も年々混雑しているような気がします。とりわけこの公孫樹の樹は人気があり、一眼レフをぶら下げた老若男女が一心にファインダーを覗いています。もちろん、私もその一人です。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

私が最初に訪れたのは中学生の頃、もう三十年近く前のことです。当時はまだ散歩がブームとなっておらず、椿山荘あたりに訪れる人も少なかったように思います。現在も他の人気スポットに比べればまだまだ穴場ではありますが、やはり人は多くなったように思います。自分だけのお気に入りの場所が知られていくのは少し寂しい半面、こんなに良い場所を多くの人に知ってもらえるのは嬉しい気がします。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

人が増えると街も変わっていきますが、この地域はあまり変わっていません。夏や冬は人もまばらで、ゆっくり散策を楽しめます。太陽がゆっくりと落ちる夕暮れや憂いを帯びた雨の日、ほんのりと倦み(あぐみ)を帯びた西日が差す午後の雰囲気は、なんとも言えないものです。色々と物思いにふけながら歩いていた過去と同じように現在も歩くことができるのはとても贅沢だなと思います。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

過去も今現在も、歩き疲れた時にこの公孫樹が優しく私を包み込んでくれています。この二つの樹は私の人生のどのような時も、そして命が尽きた後の何百年も、訪れる人々を迎えることでしょう。彼らはただそこに立ち尽くしているだけなのでしょうが、紅葉の影に隠れる野鳥のように、人間もただ自分自身の安らぎを得るために集っているのだと思います。

東京都文京区目白台:水神社の公孫樹

しかしながら、ただそこに同じようにいてくれるだけで安心できる、本当に素敵な樹だと思います。来年の紅葉の時も、そして平凡な日々の一頁でも、私はここに戻りたいと願っています。

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