かたち:空仰ぐ丸ノ内線

小説「かたち」には、地下鉄の描写が多く見られます。
主人公の未帆は地上を走る路線を利用していますが、それは東京メトロ丸ノ内線のことを指しています。

丸ノ内線(文京区春日辺り)

最近は私鉄との乗り入れが増えたので、地上を走る地下鉄も珍しくなくなりました。乗り入れでなくても、東西線や都営三田線など地上を走る路線はありますが、山手線内を走る路線でいえば丸ノ内線と銀座線のみとなります。しかし銀座線は渋谷駅からの発着間際、外に出るのは一瞬のため、都内で地上を走る地下鉄といえば丸ノ内線が代名詞となっています。

丸ノ内線(御茶ノ水:神田川橋梁)

丸ノ内線の景色といえば、御茶ノ水駅近くの神田川橋梁を渡る景色が有名です。神田川、松住町架道橋の緑のアーチ、総武線などを背景に、東京ならではの美しい景色が広がります。
劇中でもこの場所は登場しています。

私が母のことを思い出したのは、トンネルから神田川に架かる橋梁(きょうりょう)に差し掛かったときだった。この路線は、過去の記憶を突然呼び覚ますように、目の前の景色をいきなり明るくして、またすぐに暗闇に戻る。

塩澤源太「かたち」より引用

丸ノ内線(後楽園駅)

地上にある駅は、以前コラムでもご紹介した四ッ谷駅と、後楽園駅、茗荷谷駅です(池袋 — 新宿間)。特に後楽園から茗荷谷の間は一部を除いてほとんどが地上に出ています。

丸ノ内線(文京区小日向蛙坂辺り)

丘陵地の窪みと住宅の間を縫うようにして、丸ノ内線が景色の一部となっています。
青空を仰ぎながら景色を眺めるのも心地よいのですが、夜の帳がおりて、静かに燈る街の灯を眺めるのも、なんともいえず風情があります。

電車に乗り込んで車窓を見つめていると、父の姿ばかりが浮かんでくる。窓の外は車両が地上に顔を出しても、静かな暗闇が包み込んだままで、ゆっくり移ろいで見えた。私はひとつひとつ燈(とも)る住宅の灯りを数えながら、父にどんな言葉を掛けようかしばらく考えた。

塩澤源太「かたち」より引用

丸ノ内線(茗荷谷駅)

後楽園駅から茗荷谷駅に到着して、歩道橋から下を覗くと駅がすっぽりと収まっているのが確認できます。丸ノ内線は、都内の地下鉄の中で最もユニークな存在です。

丸ノ内線(文京区小日向辺り)

かたち」の主人公、未帆の両親は再婚しており、丸ノ内線のように少し変わった家庭環境です。しかし最近では、再婚家庭はそれほど珍しくなくなってきました。丸ノ内線を利用する乗客たちは、このユニークな景色を眺めながら、生活の一部として当たり前のように捉えています。未帆も同じようにこの車両に乗り、通勤などに利用しながらも、流れる景色と自分の希有な境遇を照らし合わせて思いを馳せます。
東京には、未帆と同じように非日常的なものを秘めながら日々を送っている人々がたくさんいるようです。もしかすると、日常とは必ずしも平凡なものではないのかもしれません。誰もが自身の境遇に思い悩んだり、喜んだりして生きている。そしてそれをこれ見よがしにせず、淡々と日々を送っている。私は日本に戻るとき、地下鉄に乗り合わせる人々を眺めては、それぞれの物語を想像して小説のヒントとしています。

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